Cross Cultural

愛すべきカナダ

 

カナディアン・ロッキー観光の拠点、バンフの朝は、季節にもよるが、朝早めに起きて早朝のガラス細工のような空気とローズに染まる山を感じるのが良い。まだ、人通りの少ない時間帯であれば、観光地であることを実感するエンジン音を聞かなくて済む。早起き鳥も少なくはないが、前の晩、思ったよりはしゃぎすぎた若者は、まだベッドの中で動けないでいる。早朝ならば、近代的なホテルと整備された歩道から足を踏み出すことなく、リゾート地らしい空気を存分に楽しむことができる。いくらでも肺に溜め込んで良い。すべての空気を独り占めにしても、減る事はない。
問題は、肺の大きさではなく、時間である。わずかな時間で空気も景色も大きく変化し、二度と同じものはない。ふと気がつくと、ローズだったはずの山は金色から昼間の鮮やかで騒々しい色へと変わり、研ぎ澄まされた鮮烈な朝の空気は、人の声と野生の声が入り混じったわずかに暖かなものへと入れ替わる。そうなるともはやメープルシロップたっぷりのパンケーキが早く食べたくて、体が騒ぎ出す。

カスケードマウンテンの見事に傾いた地層が目の前に迫るロッジから、早朝の空気を吸収するため抜け出し、近くのベンチに座る。独り占めである。もちろんベンチではない。ローズに輝くカスケードマウンテンをである。正しく言えば、カスケードマウンテンですらなく、世界を独り占めした気分である。
そんな中で空気を少し変えたのは、まるでそこに住んでいて、毎日同じ時間に散歩を楽しんでいるかとも見える老人だった。
「おはよう。どこから来たのかね。」
カナダの山を歩いていると、誰もがなにかしら挨拶をする。見知らぬ相手か親しい相手かは関係ない。日本の山でも以前はそうだったが、最近は習慣が薄れつつある。人が多くて、挨拶していると、それだけで一日が終わってしまうからかもしれない。ともかくバンフでのその日の第1号は、その老人だった。
「そうか、日本からか。ずいぶん遠くからきたね。ここは初めてかい?」
毎日、日本人の乗ったバスが次々と到着し、数多くの日本人がバスからはき出されて、バンフの華やかな街を歩いて回る。珍しいことでもない。恐らくは、ほとんど誰もいない朝の散歩に、ちょうど良い話相手だったのだろう。年齢差も英語の良し悪しも気にせず、いろいろと訪ねてくる。
「山に上がる途中にある温泉には行ったかな?」
まだ行ってないが、面白いところかと尋ね返すと、再び歴史やら何やらを説明してくる。そして別れ際の念押しである。
「ぜひ、温泉に行きなさいね。」
そして、数歩あるいて再びもどり付け加えて曰く、
「裸はだめだよ。水着を着てね。」
一体、いつの時代のことなのか、それとも未だに裸でカナダの温泉に入る日本人がいると言うのか、日本の伝統とカナダの文化の区別がつかないやつが未だにいると思うのか。ともかく、わざわざ戻って言うこととも思えないが、愛すべきはおしゃべりなカナダ人である。

 

日が登り、午前中は、サルファーマウンテンに向う。ロープウェイでも登山道でも登れる山である。無数にあるトレッキングコースの中でも比較的簡単で、登りやすい。ただし、ようやくたどり着いたてっぺんで、ロープウェイ客の身軽な格好に、勝った様な負けた様な微妙な気分を味わうこと請け合いである。その点ではロープウェイを選択しておいたほうが無難と言える。
頂上からの眺めはその手軽さを思えば、望外に雄大である。ロープウェイの乗り場でしつこくお国自慢を言い続けた韓国人学生からようやく逃れ、マウンテンゴートが待つ山頂に向かって、ロープウェイは動き出す。韓国人学生に何があったか知らないが、彼は、相手が日本人と知るや、いかに韓国が優れているかを身振り手振りを交えて語るのだった。きっと、よほど嫌なことがあったのだろう。だが、申し訳ないが、楽しみにしていた眺望が待っている。あまりゆっくりとはしたくない。
ロープウェイというよりゴンドラというべきか、その小さな空中散歩に乗り合わせた相方は、またも老人だった。今度の老人はご家族を連れている。が、しかし、話すのはやはり老人である。どこから来たのかと、またしても同じ質問。答えも同じ。
「そうか、日本からか。ずいぶん遠くからきたね。ここは初めてかい?」
私は2回目である。老人は、驚いた様子で言う。
「私はカルガリーの郊外にずっと住んでいるが、ここに来るのは今日が2回目だよ。あんたの方が遠いのに。若い人はいいな。」
カルガリーからはわずか100kmである。地元とはそんなものであろう。
そんな話をしながら、次第に話はカルガリーの過去に及ぶ。こうなると、今度は相手の話していることが所々わからなくなる。恐らくは70から80年前に時は戻る。そもそも背景となる知識がない。だから分からない単語も想像がつかない。仕方なく、こうお願いする。
「あまり英語が得意ではありません。少し、ゆっくりと話してもらえますか?」
話が途切れるのであまり言いたくはないが、仕方ない。伝わることが大事である。分かったふりをしても面白くない。
「おや、すまない。君はフランス語を話すんだね。」
だから日本から来たと言ってるのにと思ったが、ここはカナダである。西海岸には東洋系も多く、母国語は英語とフランス語の国なのだとあらためて知ることになった。愛すべきはおしゃべりなカナダ人である。

 

翌日は、ホテルで予約しておいた氷河ツアーに参加した。各国語のツアーがあるが、何故か日本語の料金は高い。倍の値段である。またしても難しい単語が出てきて分からなくなる事は想像できるが、迷わず英語のツアーに申し込んだ。
朝出発で明るいうちに戻ってくる、1日コースまではいかないが、比較的長いコースである。いろいろなところに停車しては、遠くから氷河を眺めたり、渓流を散策したりする。確かに場所の説明や集合時間の案内は英語だが、英語で困るような内容ではない。アサバスカ氷河に入るために雪上車乗り換えた後は、いろいろと氷河の成り立ちや科学的な説明が続くが、素人向けのツアーであって、専門家向けではないから単語は平易である。氷河に降り立った後は、希望すれば専門用語を交えて説明してくれるが、こちらはブルーアイスを見ては写真を撮るのに忙しい。その上、備え付けのリーフレットには、フランス語版やスペイン語版に加えて、日本語版もある。確かにいろいろ聞かれるよりは、ある程度のことは、リーフレットを読んでもらったほうがガイドとしても楽に違いない。
バスツアーのドライバー兼ガイドは若い女性であった。女性がドライバーというのも珍しいわけではないが、大型バスのドライバーは重労働である。比較的華奢な身体をいっぱいに使って大きめのハンドルを回しながら、ヘッドセットでアナウンスをしなければならない。案の定、バスはハイウェイの真ん中で突然停止した。道幅が広く、日本のハイウェイよりは交通量も少ないが、高速道路の中で停止するのはあまりいい気がしない。社内では、何か起こったかと声がかかる。
「ごめんなさい。ギアが入らないのよ。ちょっと待って。」
彼女はクラッチをガチャガチャと踏み直すと両手を使って入りたがらないギアをどうにか押し込み、再び平然と走り出した。何故か拍手が起こり、彼女はありがとうと礼を言う。そうなる前に整備をした方が良いと思うが、言っても仕方ない。
ツアーの帰りは、主要なホテルに停車しながら客を順に降ろしていく。私が泊まっているホテルはコースに入っていないし、行くところもないので、何となく最後までバスで過ごした。街中を一周するので、ちょっとした観光である。とは言え、だんだんと人が少なくなり、最後のひとりとなった。
「どのホテル?」
バス発着所の近くのロッジの名前を告げると、コース外だが近くを通るから乗せて行ってくれるという。このあとの予定もないので、とりあえず乗せて行ってもらうことにした。
運転席のそばの椅子に移動し、世間話をしながら、恐らくは世界最大級のタクシーがゆっくりと走る。乗り心地はあまりよくない。ドライバーは、離婚して新しい職を探したら観光バスの仕事に落ち着いたらしい、少し危なっかしい運転手である。愛すべきはおしゃべりなカナダ人である。

 

カナディアン・ロッキー観光の拠点がバンフならば、その玄関口はカルガリーである。オリンピック開催地であり、厳しい冬にも暖かく買いものができるよう屋内通路が張り巡らされ、近代的なビルが建ち並ぶ。多くの観光客がこのカルガリーからグレイラインのバスや車でバンフに向う。
このカルガリーの郊外にカルガリーの歴史を学べる大きな施設がある。中には開拓時代の砦や街が再現され、鉄道には蒸気機関車も走る。中で働く人は、その時代の衣装で質問に答えてくれたりもする。なかなか魅力的な場所ではあるが、遠くからの観光客はほぼ立ち寄ることはない。
訪ねたのはずいぶん昔の事なので、ひょっとすると、今や人気の場所となっているかもしれないし、すでに存在していなくても驚かない。何となく中途半端な施設であった。
そんな場所ではあるが、どうしても訪ねて見たくて、カルガリーから向うことにした。もらった案内よりもどう考えても歩く距離は長かったが、いくつも交差点を超えてようやく最後の交差点までくると、そこにはまたしても老人である。
「どこから来たのかね?」
またしても同じ質問。ひとことふたこと話すと信号が緑に変わり、いつもの質問から脱出に成功した。
だが、世界は単純ではない。車線数の多いカナダである。しかもどういう訳か押しボタン式の歩行者用信号がついている。広い道幅を対岸までゆっくりと横断していると、渡り切ったあたりで信号が変わってしまった。振り返ると、先ほどの老人は中州に取り残されている。数歩だけ歩きかけたところで、引き返して押しボタンを押した。恐らくは、一定時間で信号は変わるだろうし、そのうち誰かが来るだろうが、そのままにしておくのは気が引ける。しばらくして再び歩行者信号が緑に変わり、老人はゆっくりと渡ってきた。
「いやあ、ありがとう。君がボタンを押してくれなかったら、一生あそこにいなきゃならないかと思ったよ。」
愛すべきはおしゃべりなカナダ人である。

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