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A Book:マッチ売りの偽書

20130310-005

湧き上がるイメージを手当たり次第書き殴る。そうしないとこぼれ落ちてしまいそうだから、書き殴る。吹き付けてくる言葉を逃げることなく受け止め、丹念に記録する。自分の他にそうするひとがいないから、記録する。手当たり次第。手身近にあるかけそうなもの全てに。ノートに、広告の裏に、折れ曲がったクリネックスの箱の余白に、記録できそうなら何でも。スマートフォンに、手の甲に、机に、留守番電話に、時計に、。。。
あまりの言語の重さに、それはやがて自壊する。慌てて拾い上げようとすればするほど、混乱し、デタラメに散らばり、笑みがこぼれ、地滑りが起きる。記録された言葉は再び流れ、新たな意思を得る。

【返歌】 空間に散らばった言葉を正確に位置付けるには、3次元座標系が必要である。xyzで表されたその位置を容易に取り扱うには、直交座標よりも極座標が好適とされる。すなわち、自分からの距離rと偏角θおよびψにより言葉は位置付けられる。しかしながら、より正確には、言葉は3次元連続体とすべきである。言葉は空間を漂い、(r, θ, ψ, t)の4つの次元に捕らえられている。言葉は、観測者である自分と他者の間に相対化され、その速度の差によって意味が変化する。

拾い集めた言葉の一部は、やがてもとあった場所に帰って行く。
「裏側にお回りください。」
ただ、元あった場所がどこか正確に覚えていない。それぞれの記憶に従って、あるべき場所に戻る。だから正確であることは期待できない。もしかすると最初から夢だったのかもしれないし、ノートに書き記しておくべき事だったのかもしれない。
「裏側にお回りください。」
何モカモ曖昧ダトイウノニ書かれた文字は頑なに在り続ける。否定しても、肯定しても、そうした判断を超えて在り続ける。やがてインクが、紫外線のとらえどころのない痛みと世界から忘れ去られた眠気の中で薄れていくとしても、在り続ける。
「入口はこちらではありません。」
どこが前でどこが後ろなのか、ねじ曲げられた時空間。時空間がねじ曲がっているのか、我々がねじ曲がっているのか。自分だけがねじ曲がっているのか。
「明日には復旧します。」
見覚えのある音の連鎖。新たな色彩の断絶。

【返歌】 2月1日 金曜日。晴れ。最低気温1度。無風。午後から風が強まり、3月下旬頃の気候となる予想。乾燥した日々が続いたせいか霜柱も成長しない。時計を確かめるが、秒針はいつものように正確に動いている。同じ方向に回り続けている針。静止する文字盤。無風。シデコブシ、ミツマタ、銀の毛虫がすべての枝にまとわりつく。銀の卵。真冬、停止する朝。

娯楽の要素が強い映画ですら人によって感じ方が異なるように、言葉で描かれた世界は、それ自体で充分な柔軟性を持っている。イマジネーションなのか単なる虚無的な遊びなのかは、受け止める人によるだろう。自然界の摂理と決定的に違うのは、まさにこの点にある。どれほど言葉を尽くしても、一意に決まる心象など存在しない。受信者によって受け取るものが違うなら、多少正確さを欠こうが、自己にとって正しければ良いというのは、表現にあっても傲慢か。それとも自己満足か。
そのどちらでもないのだろう。何かを表現しようともがけばもがくほど言葉は粉々になり、原型から遠ざかって行く。どこかバランスの良い適当なところで表現を止めれば一見豊かにも感じられる表現を得るだろうが、それが求めるものとは限らない。だから、言葉をつくす。そして、時に地滑りを起こす。
地滑りを起こした言葉の列は、ジャクソン・ポロックのような全体の調和の中の混沌ではない。おそらくは、計算されたアクション・ペインティングとは違って、緻密に準備されたものでなければならない。地滑りを起こした言葉の列は、ジョルジュ・ブラックのような粗野な調和ではない。おそらくは、調和した世界に垣間見得る乱暴さである。マッチ売りの偽書には、調和と混沌が同居している。
今は記憶も曖昧となった昔のことであるが、物書きがしたい者同士が好き勝手に書き込むノートが置かれていた。今であれば、Twitterかblogかそんな物である。そこに、何かを表現する手段は言葉でも映像でも音でも舞台でも色々とあるというのに、何ひとつ上手く表現できないと書き込むと、最初の反応は真向から反対するものだった。曰く、表現したいものより表現する手段が多いわけではない。表現する手段は不完全でむしろ足りないのだと。強ち間違ってはいない。だが、それは逃げでもあるだろう。マッチ売りの偽書において、我々は試されている。

【返歌】 大気の重みに両肩は耐えきれず、宇宙どころか街角の空間に矮小化されながら、あなたはゾウに踏みつけられた蟻となる。
踏みつけられながら、ビルの空気をかろうじて循環させるコンプレッサーがブツブツと不平を言うのを聞いている。
かろうじて難を逃れた他の蟻は、嘲笑っているわけでもない。無言で空気を吸って吐いているだけだ。
遠い未だ見ぬインドの記憶。やがてゾウはその古代遺跡のように輝く足を上げる。
何ひとつ変わらない大気と光。

地滑りを起こす言葉のイマジネーションと群衆の孤独と微かな希望の狭間で、中島悦子は今も漂流を続けている。

最近読んだ本

マッチ売りの偽書 (思潮社)
中島 悦子 著

十字軍騎士団 (講談社学術文庫)
橋口 倫介 著

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