Bonne journée

Bonne journée (15)

20130406-001今週は激しい雨とすっきりしない晴れ間に何とも憂鬱な日々となったが、週末もまたしても暴風とは!仕事に追われて、わずかな自分の時間をゆっくり過ごすしかないのでは、気分まで雨降りのようになってしまいかねない。そんな時は、これ幸いと読書に勤(いそ)しむのが正解である。

先週読み終えた本のメモ書きをまとめる事もしたいが、あまり義務感のようになるといい加減になりがちだから、書評は来週以降に回すことにした。まずは、読書で頭に栄養補給である。

なんだか文章まですっきりしないので、最初の写真は、早朝の日差しと決めた。せっかくこのblogを訪ねて読んでくれている人がいるのに、すっきりしないだけでは申し訳ない。

20130406-002この写真、iPhoneで撮影したものである。印刷するには耐えられないが、iPhoneでも案外光をうまくとらえるものだと感心させられた。先日、土筆の写真がうまく撮れないと書いたが、もう一度ゆっくりとピント合わせをしてみたら、ピッタリとはいかないものの何となく見られるレベル程度になっている。要は、自分の撮り方が良くなかったのだろう。あんな小さなレンズでここまで撮れるとは、技術が相当進歩しているということか。ニーズがあれば技術は進むという自明の理ではあるが、もはやレンズと撮像素子を重ねて収めるスマートフォンの厚みもミリ単位の世界なのだから、驚かざるを得ない。

ただ、最近思うのだが、自動販売機の進化だけはどうもしっくりこない。商品がすべて映像になっていたりしゃべったりと、結構意味不明である。考えてみれば、Amazonで映像を見て商品を買うのと自動販売機の映像を見て買うことにさして違いはない。サンプル品が本物の缶からプラスチックの半分サイズになって久しいし、自動販売機自体が無人販売である時点で本質は同じなのかもしれない。

20130406-003それでも思うのである。朝、缶コーヒーを買った自動販売機に、

「いってらっしゃい」

と言われたくないと。ほっといてくれ。夜に買ったら「お帰りなさい」とでも言うのか。そんな気持ちにもなる。

恐らく、自動販売機は便利であるが故にギリギリの妥協が成立してきたのだろう。余計な進化は、マーケティング上不可避と思えば納得もする。液晶パネルなら、その時間帯に売れそうな商品を目立たせることも出来るだろうし、今時ネットワーク経由でリアルタイムに販売状況も分かるに違いない。販売側には何と便利なことか。

だが、買う側にはあまり嬉しくない。機械は機械としてそこにあってほしい。機械だと思うから安心してそれを操作出来るのである。あるいは、機械だから壊れていても、「まぁ、故障することもあるだろう」と思えるのである。その点、時代遅れのフランスあたりの自動販売機は、不思議と安心感がある。何しろ、コインを置いてガチャンとレバーを動かす時から「この機械は釣銭の計算出来るのか」と不安を感じ、機械が動作し始めてからも「ボトルが詰まりそうだな」とハラハラ見ているわけで、買う側が思わず

「営業時間がとっくに終わったこんな時間にすみません。夜遅く駅に着いたものですから。」

と言い訳をしたくなる代物である。あくまでも、人がいない時でも買えるという利便性だけが付加価値なのだろう。それはそれで明快で良いではないか。

今日も良い1日を。

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