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A Book: フランス組曲

201402-060This article was written only in Japanese.

毎朝のコーヒーのように身近なことだというのに妙に現実感がないということがある。毎日通る交差点で起きた事故は、決して他人事ではないが、新聞の隅に小さく出ていても他人事だと気に留めない。それは、いつの間にか、通り過ぎて行く交差点でしかなくなっている。増税のような生活に直接関連する話題であっても、それは縁遠い政治の話であって、何処かで無関係のように感じている。そんな類の事である。きっと、日々の出来事とはそうしたものなのだろう。毎朝のコーヒーだって、しばらくすれば他人事のようにその味を思い出すことだって難しい。

逆に、遥かな時と場所の彼方にある出来事が、どうしたことか目の前で起こっている事のように思えることもある。もちろん、それは刹那的な感覚であって、ずっとそう感じているわけではない。だが、その瞬間だけは、現実の今にありもしないことにやるせなさを感じたり、時は恐怖を感じたりもする。だから映画も小説も成り立つのだろう。多くはその場限りの感覚だから、ふと我にかえることもあるし、時に騙されたような不思議な気持ちになることもないではない。それでも瞬間的には目の前にないものをそこに感じている。

ナチスドイツのフランス侵攻は、そうした意味でははるか遠い出来事の類である。当事者であるフランス人にとっても、忘れ得ぬ出来事ではあっても、今や歴史の一部としか認識できない人も多いだろう。あれから3/4世紀が経過しているのだから。ところが、そうした時間の経過があってもなお、パリからの脱出はそこにある。まるで、それを見ているかのように。もはや正常に機能する事など期待できない駅に詰めかける人々、脱出の時にあってなお日常に振り回され過ぎていく時間、夜の帳。風景は普通のそこにある人々と共に過ぎていく。

それは、作家の奥に潜む創造された世界が紙の上に置かれたインクの染みとなって現れたものなのか、インクの染みが世界中の読者の頭のなかに投射された映像なのか、あるいは、紙の上のインクであれ何であれ、現実にそこにあった現実なのか。それは、その全てであるからこそ目の前にあるように感じるのだろう。つまり、作家としての多面的な創造力と揺るぎないペンの力と現実とである。想う力が無ければそれは生まれず、想うことを文字として表現する力が無ければ読者には届かず、辛い現実があればこそ今以てここに読者があるのだ。もちろん、その時代を覆い尽くした暗黒の空を知ることなく、今も変わらぬ人々の営みのみをもって作家に身を委ねたところで、その価値は何ひとつ変わらないだろう。読者は作家の強いペンの力のみを頼ってそれを読めば足りるに違いない。それが世界中に訳され出版された作品というものである。その上で、少しでもその時代を知った時、それは強い現実となって目前に現れるのだ。

父は別れ際、長女ドニーズに小型のトランクを託した――「決して手放してはいけないよ、この中にはお母さんのノートが入っているのだから」

売り文句には、そう書いてある。恐らくは、このひと言が作品を物語る最も効果的な表現のひとつであるだろう。何故、ノートをノートの入ったトランクを手放してはいけないのか。ドニーズは何を託されたのか。ドニーズに託さねばならなかった、別れなければならなかった父と娘はどこに行ったのか。売り文句としてあるその言葉は、この作品そのものに書きこまれたストーリーですらなく、作家自身のおかれた境遇として解説に書かれた、作品の背景そのものである。そんな作品の背景が重要となるほどに、作品は想像と事実、創造と破壊からなる重層的な構成を現す。

構想の2/5しか完成させることの出来なかった作品の読後には、未完の不安感も完成された安心感もない。それは確実に完成されているし、その一方で、完成したというには落ち着かない、終わりの見えない焦燥感のようなものが残される。だから、恐らくは、妙な現実感を感じるのだ。

作品の後に続いて収められた書簡類は、想像と現実の境界をさらに曖昧にする。解説を含め、いっきに読み切りたい。分厚い本であるが、その価値はある。そうせざるを得ない。何かに背中を押されているかのように。

最近読んだ本

フランス組曲 (白水社)
イレーヌ ネミロフスキー 著、野崎 歓、平岡 敦 訳

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