Cross Cultural

Skiing in Canadian Rocky Mt. (Avalanche Beacon)

201403-003The original text was posted as “Avalanche Beacon” in January 2013. This article was written only in Japanese.
2013年1月に公開した記事を加筆・訂正したものです。

カナディアンロッキーの山々が雄大な風景を織りなす場所、アルバータ州とブリッティッシュ・コロンビア州の境界線上にサンシャイン・ヴィレッジ・スキー場はある。古くからある一番奥のエリアまでは、ゴンドラで行くことになるが、長い長いゴンドラに乗って中間駅をやり過ごし、時間をかけてたどり着いた先が、やっとベースエリアである。森の中を行くゴンドラから尖った寒そうな木々を延々と見続け、視界が開けたと思った場所がようやく入口でしかない。つまりは、実際にロッキーの山々をスキーで楽しみたかったら、さらにリフトで上がらなければならない。とは言え、ベースエリアでも街からは隔絶された領域であるようなところだから、リフトで上がって行けば、雄大で厳しい景観に畏怖を感じるような、日常とはかけ離れた光景が待っている。天候にさえ恵まれれば、はるかに遠くまでロッキーの山々が連なり、真っ白な異空間に放り込まれた感覚である。森林限界を超えているので、すでに木々すら見当たらない。ベースエリアからゲレンデを見上げただけで、これはもうリフトで上がるしかないと心躍る風景なのである。

このスキー場には、黒々とした岩がむき出しのままとなっているような場所がいくつかある。雪も付かないような巨大な岩、あるいは、壁面というべきか。最近は整備され、無茶は許されなくなってきたようだが、上級者なら一度は滑って見たくなるようなストンと落ち込む斜面が、リフトで簡単にアプローチ出来る。勿論、そこを滑るのは簡単ではない。上から覗き込んでも下は見えない。先が見えないような断崖の先まで誰かが滑ったシュプールが見えていても、途中からは何も見えない。何もない。恐らくは、その何もない場所には黒い岩が出ている。そうやって、その見えない先に目を凝らすとその遥か先にシュプールが続いていたりする。であれば、トライしてみたくない筈がない。全てがロッキー山脈の中という光景なのだから、気持ちも昂ぶる。だが、そのような場所の前には、そっけなく一枚の案内が立てられている。曰く、ここから先は自己責任で。

ほとんどの人は、ここで思い留まることになる。寧ろ、少しでも逡巡するようであれば、思いとどまった方がよい。自己責任の意味は大きい。怪我してもスキー場に文句を言うなという意味ではない。自己責任とは、迷惑をかけるような事態になれば、それ相応の責任を自分自身でとるということだ。

よく、垂直に落ちこんだ真っ白な斜面を自由落下でもしているように滑り降りたり、岩を飛び越えたりするような映像があるが、あれは、綿密な調査と計画、強力なチーム体制で撮影されたものである。滑る前にすべての岩の位置を頭に叩き込み、すべての体制を整えた上で撮影を行っている。全体が把握できないような場所であれば、離れたところから見て指示を出している人もいたりする。その上で、何度も失敗を繰り返しながら撮影している。自己責任というのは、そうした意味なのだ。

もちろん、そうは言ってもそこに斜面があれば滑りたくなる。危険だから滑らないのではもったいない。断崖を滑るような無茶をせずとも楽しみ方はある。もちろん、無理せずサンシャイン・ヴィレッジのてっぺんから森林限界を超えて何もない斜面を楽しむだけでもよい。あるいは、自己責任の看板がない程度に厳しい斜面を望むなら、ほど近いレイクルイーズという手もある。サンシャイン・ヴィレッジもレイクルイーズもロッキー観光の中心となるバンフからわずか20分から30分程度。毎日多くのバスが運行している。バスは主要なホテルに止まるから、裏手の安いホテルに泊まっていても、歩く距離はたいしたことはない。バスが止まるホテルまでスキーをかついで行って、あとはバスを待つだけ。誰もがスキー靴でドタバタと歩いているからゆっくり歩いていても文句を言われることもない。レイクルイーズスキー場行きのバスに乗り込めば、あとは寝ていても大丈夫だ。

レイクルイーズのベースエリアからリフトを乗り継ぎ延々と上がって行くと、そのほぼ頂上に Top of the World と呼ばれる場所がある。素晴らしいのはその向こう側である。ここには自己責任の文言はない。所謂バックボウル側に未整備の斜面が延々と続く。ピステンは入らないので、コブだらけのハードなバーンが維持されている。モーグルの競技も行われるそこは、実力以上に飛ばせば、間違いなく頭から自由落下の爽快感を味わえる場所である。

もうひとつの楽しみは、そのバックボウル側を上がるリフトだろう。モーグルの公式コースだからモーグル好きがたくさん集まって来る。そのモーグル好きが、リフトの上から”Hop, hop.”といった感じで声をかけてくる。勿論、その声につられて飛ばせば自由落下となるのは同じことである。

スキーに付けるリボン。パウダースノーであれば、邪魔にならない。
スキーに付けるリボン。パウダースノーであれば、邪魔にならない。

自己責任でよいならバンフからのツアーもあるヘリスキーを楽しまない手はない。自己責任といっても、快適で安全なツアーである。ここしばらくは事故もないとのことで、恐らくは極めて安全なのだろうと思う。ヘリで運ばれた先には、ヘリと参加者以外は何人の気配のない真っ白な世界が待っている。ヘリが去った後は、青と白の無音の世界だ。けして安くはないが、日常ではあり得ないその情景を味わう価値はある。

上級者限定という類でもない。さすがに初心者は無理だが、ボーゲンで止まったり曲がったりが出来れば、それ相応のコースに案内してくれる。自己申告でクラス分けを行い、 さらに最初の比較的簡単な斜面でさらにグループを決めてくれるから、自分の実力にあったコースを滑ることができる。クラスによってスタート地点が違ったりするが、基本的には、滑る場所もほぼ同じである。クラスが違ったから青く輝く氷河を見られなかったということはない。

自己責任と書いたが、参加の申し込みには「死んでも文句は言いません。」と書かれた契約書へのサインが必要である。そもそも死んでも文句が言えるのかどうか甚だあやしいが、この書類にサインして、参加は自己責任ということのようである。

ツアーは至れり尽くせりである。山の上での食事でもサンドウィッチと暖かなコーヒーか紅茶が用意されたりする。見知らぬ同志で交流を深め、一日を楽しくかつ安全に過ごす良いチャンスにもなっている。

もちろん、滑る前の講義も充実している。パウダースノーの滑り方の注意から転んだ時の対処まで、それ相応に充実した講義があるから、初めてでも困ることはない。そして、その充実した準備がまさに自己責任にもつながっている。

最初にヘリに乗る前に、スキーの積み方と下ろし方、降りたあとの身の処し方について説明を受ける。その上、実際に練習をしてもみるが、講義の重要性を理解するのは、実際にヘリから降りた時である。

講義では、ヘリから降りたら、協力してスキーを下ろし、身を屈めてヘリから離れたら、密集して体を小さくして離陸を待つように教えられる。先ずは平地でワイワイと楽しく輪を作り、実際にやって見る。英語だけでなく、ドイツ語やら日本語やら参加者の言語が飛び交い、終いには笑い声で言葉の違いも無くなるが、どうにかやることだけは理解して出発である。さて、そんなところに着陸して良いのかと疑うような尾根の平になった小さな場所に、雪煙を巻き上げながらヘリが降り、降機の指示が出る。思ったより激しいローターの風に寒さを感じながら、練習通りにスキーを下ろして、指示された場所に小さく丸くなる。ちょっと顔を上げると、稜線の向こうに蒼く澄んだ空が見え、雪の白い領域と空との境界線からヘリが離れて行く。太陽光に雪煙が輝き、境界線はグラデーションとなる。だが、ここでルールを守ることを思い出す。体を小さく、頭を下げよと。

ルールを守らず、うっかりと上半身を起こした参加者は、直後に凄まじい雪煙に包まれ、運が良ければ顔が、悪ければ下着の中まで雪だらけである。笑いごとではない。体温が奪われ、しばらくは快適とは言い難い状況となる。上級コースだと風に煽られて、転落しかねないから、ルールにはルールの意味があるのである。それで死んでも自己責任であるが、責任には死んだあとの始末も含まれるから、単純な話ではない。

守るべきルールは他にもある。同じグループで助け合うこと、ガイドの指示に従って、言われた場所だけを滑ること、単独行動は絶対にしないこと。どれもこれも、極めて重要である。

ガイドの後ろを一列になって滑るように指示されれば、それはもうはっきりとせいぜい1~2メートルの幅で順番について来いということである。真っ白な広い場所であっても自己判断でシュプールを逸れてはならない。実際のところ、ちょっと羽目を外して数メートル離れただけで、真っ白なパウダーの中にダイブすることは稀ではない。やってみれば分かるが、パウダーに頭を突っ込むと、息することすらままならない。やめておいたほうが無難である。後からよくよく見れば、隠れたロックの僅かな影に気がついたりもするが、気がつくなら飛ばされる前が良い。そして、それは慣れなければ難しい。

その上、恐らくは、外れたスキーもすぐには見つからない。スキーに大きなリボンをつけてはいても、深いパウダーに埋れたスキーが見えるわけではない。雪を荒らせば、捜す範囲がどこかすら分からなくなる。そんな時になって初めて互いに協力するルールの意味が見えてくる。もちろん、ルール以前に、どれだけ親しくなっておくかが重要であることは明らかである。打算的ということではない。相互に親しみを感じられるようになっていなければ、人は、腰まで埋もれるようなパウダーの中で、親身に人のために努力するものではない。

ヘリスキーのための準備となる講義は、行きのバスの中でも行われる。バンフからのツアーだと2時間程度バスに揺られることになるが、挨拶から始まって、ビデオを見たり、面白おかしい話を聞いたりするから飽きることはない。その中でも興味深いのは、アバランチ・ビーコン(avalanche beacon)だろう。雪山をやる人はお馴染みのあの箱である。アバランチ・ビーコンは文字通り、雪崩にあった人を捜すための発信器である。通常は発信モードにしておいて、雪崩にあった人を捜す時は受信モードに切り替える。バスの中では、もちろん受信モードで練習する。雪崩に巻き込まれた側の練習をしてもしかたない。さあみんな受信モードにしてとの合図で、いっせいにイヤフォンで音を聞く。講師はバスの中を行き来して、遭難者役である。講師が近づくと音が大きくなり、離れると小さくなる。

原理も使い方も極めて単純である。だが、遭難者の捜し方となると途端に難しくなる。バスの中のようにはいかない。何と言っても、遭難者がこちらに向かって歩いてくるとは思えない。従って、理論だけでもあらかじめ知っておく必要がある。

捜索者は、先ずは誰が巻き込まれたかを確認する。パーティーにはその時初めて知り合った人が含まれているかもしれない。遭難者が何人かを知るのは大切なステップである。

遭難者がどの辺りに埋れていそうかを把握することも重要である。その上で、探索域をメッシュ状に大まかに区分けして、最もいそうな場所を斜面に直角にスキャンする。1回目に音が聞こえればラッキーである。次は、最も音が大きかった場所から直角にスキャンを開始する。これを繰り返せば、原理的には、最終的に遭難者の真上にたどり着く。

言葉で言うだけならなんとかなりそうでもあるが、実際には簡単ではない。捜索するということは、極限状況にあるという事でもある。そのような中での探索である。再び危険な状況になるかもしれないし、自分自身が怪我をしているかもしれない。互いに協力して対処できる信頼関係が必要である。ルールを守り、親しく交流する状況があって初めて非常時の対応が可能となる。講義の目的は、結局のところ、非常時になったらどうするかではなく、そのような事態とならないための行動と、なってしまった後の心構えを伝えることにある。何しろ、雪崩にあって誰かを探すことになっても、パーティーの命綱となった自分自身の安全も確保しなければならないし、そもそも探索を行う体力が残っていないかもしれない。ヘリに連絡する手段も雪の下に埋れている可能性もある。うまく探索ができたとしても、発見までには長い時間がかかるだろう。呼吸すらままならない雪の下の遭難者が生きている可能性は低い。それでも捜さなければならないのである。

アバランチ・ビーコンは、別名、死体発見器と呼ばれている。

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