Art

ヨコハマトリエンナーレ2014

201410-041The article “Yokohama Triennale 2014” was written only in Japanese.

何も書かれていない白を見る。じっと見る。目を凝らし、何も見逃すまいと隅々まで眺める。何の変哲もない四角に切り取られた白い枠を覗くように見る。首を伸ばし、何ひとつ変わったところのない異常な白を見てみる。足音が聞こえてくる。リーフレットのノイズとともに近付いてくる誰かを肩の向こうに感じながら、また何も書かれていない白を見る。体をおこし、3歩下がる。どこか不安を感じて周囲を見渡し、周囲にある他の作品を感じながら再び観る。首筋を掻きながら、もう一方の手で腰を押さえ、白い空間を凝視する。そこに白がある。白い色はやがて影を持ち始める。わずかな陰影に白が歪み、クリーム色の模様が見えたような錯覚をおぼえる。しかしてそこには完全な白がある。

首を曲げて離れた場所に置かれたケースを見る。また白を見る。小さな説明書きに気付き、それを読む。作品名と作者の名前を作成年と共に記してそれ以上何も語らない四角は、白い四角を残して記憶から直ぐに消えて行く。白いそれから目を逸らし、離れたケースを見に近付く。ゆっくりと近づく。五線譜と説明書き。書かれていない音符。白い五線譜。ノイズ。

201410-047白い空間を漂いながら、次の部屋に迷い込む。自らの意思で迷い込む。そうやって迷いながら歩きまわる間に、時は容赦なく流れていく。生きるイメージと死を約束されたイメージ。その狭間に、時は流れていく。容赦なく流れる時間の中で、もどかしいほどゆっくりと作品が動く。ふと気付くと、強烈に色が自己を主張する。

開催の度に参加する横浜トリエンナーレは、まさに参加すると言う言葉が合っている。ぼんやりと眺めることもできないわけではないが、いつも必ず自分が作品の中にいるような錯覚をおぼえる。それがインタラクティブ性やインスタレーションそのものが作品と成り得るコンテンポラリーアートの面白さでもある。いつだったかのトリエンナーレ。実物大のサッカーゲームに興じながら、自分自身が参加しなければ感じることのないアートを楽しみ、狭い隙間を障害物を避けながら今を感じた時、観るアートはリアルタイムで存在するアートに変わったのだろう。

昨年はすっかり話題になっていた”The Clock”を見て、正午を迎える緊張感と正午を迎えた安堵感を同時に味い、急にランチタイムにしたくなったのが妙に記憶に新しいが、それでもなお、アートの中にいる感覚、あるいはそこにあるアートがある意味全体の印象であることは間違いない。

横浜のビルに巨大なバッタが取り憑いてから13年。次はまた3年後なら参加しておかなければならない。11月3日まで。

 

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2 thoughts on “ヨコハマトリエンナーレ2014”

    1. 強烈な色だったり何もない空間だったり、時には目には捉えられない時間だったり。わざわざ好きで作品に呑み込まれるために行くようなものです。

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