Bonne journée, Cross Cultural

暑い5月の終わりの午後

201506-211written only in Japanese

痛いほどにまっすぐに照らす陽射しがようやく傾きかけた頃、ガルコスタの華やかなラテンのリズムを楽しみながら、もはや裏通りとは言えないほどに誰もが使う狭い市道を下っていた。いつもかけっぱなしのFMはいつものように音楽を流し続け、いつも見慣れた通り過ぎて行く公園には木陰にすら人影が見当たらなかった。暑い5月の終わりの午後だった。

公園の隅にとってつけたようにある出入り口の先には、反対側にしかない歩道に渡るための横断歩道が白く描かれている。狭い市道には、道の両側に歩道をつける程の道幅はなかったからだろう、ちょうどその公園を境に、片側にしかない歩道は道の反対側に移る。緩やかに曲がるその市道の横断歩道に差し掛かった時、公園の反対側で車を通り過ぎるのを待つ人があった。途切れることなく車が走る道ではない。かといって交通量は少なくない。ちらとルームミラーを見てブレーキを踏み、停止しながら対向車に目をやる。すれ違う車は止まらなかったが、その後の車までの車間はそこそこある。そのちょっと間を空けて続いた対向車も、結局速度を落とすことなく通り過ぎた。そしてその次の車も同じだった。時々横断するにはためらう程度の間が空くことはあっても途切れることなく10台以上の車が走り抜けていった。途中、横断歩道の横で待つ見知らぬ誰かは無表情にこちらを向き、そしてまた通り過ぎる対向車を見ていた。そうする以外にやることなどない。待つというのはそういうことだ。

201506-212そうやって全ての対向車が通り過ぎた後で、その人は小さく会釈をして公園の方に見えなくなり、残ったのはどこにでもある狭い市道で止まっている自分だけとなった。FMからは変わらずラテン音楽が流れつづけていた。

世界中に無謀な運転をする輩はいて、車とは不思議な道具であると時々思う。夜遅いフランスの田舎道の赤信号で止まったら、速度を落とすことなく後続車が追い抜いていったことがあった。確かに他に車などなかったし、信号で生真面目に止まって待つような場所でもなかったが、だからといって夜の見えにくい影の向こうに誰かがいないとも限らない。「クレイジーなやつだな」と誰もが思う瞬間だった。「変なやつはどこでもいる」と。そのフランスで、横断歩道で歩行者が待っているのに誰もが止まらないといった経験はない。もちろん、何台かは通り過ぎることもある。気づかないこともあるだろう。だが、通りの少ない道でも止まって待つ。それどころか、歩行者が車にどうぞと道を譲る。列に並ぼうとしないフランス人がである。長年住んでいるひとは違うと言うかもしれないが、少なくとも自分経験上はそうなのだ。

文化の違いといえばそれまでだが、どこが違うのかと言われれば俄かには答えが出てこない。どうした事か分からないが、バツが悪いような変な気分になりながら、アクセルを再び踏んだ。

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6 thoughts on “暑い5月の終わりの午後”

  1. 日本って、確かに車の方が大きい顔をして通ってますよね。私もびっくりしたことが何度もあります。😉

    1. ひとそれぞれの考えがあり、その時々の状況があることはわかります。ただ、横断を待っていたひとにもかえって負担をかけたような妙な気分でした。

  2. 特に夜間に停止すると、強盗に襲われる危険性があるので、止まらないのかも・・・。でも、確かに、日本でも、車に(それも大きな)乗ると、人格が豹変して、恐ろしい運転をする人がいますよね、怖いですね。

    1. たしかに夜は危険な場所もありますね。一緒にいたフランス人もクレイジーだと怒ってましたが。

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