Books

A Book: 時間のかかる読書

201508-211This article was written only in Japanese.

やられた。扉を開いて数ページ、少しばかり空いた時間に、そろそろ読もうかなと本棚の一番目立つところに置いておいた文庫本を手にして、軽い気持ちで読み始めたのである。本の扉を開くとは大袈裟な言い回しだが、右から開くのか、左から開くのか、あるいは下からめくるのか、ひょっとするとスクリーンをタップするのか、まあ、そんなことはどうでも良いのだが、ともかく扉を開くというのはちょっとした儀式ではある。そして、その後の10分間は本を読む行為において、極めて重要な時間となる。いきなりその世界に引きずり込まれることもあれば、悶々と考えさせることもある。その10分間に思ったのは、ひとことで言えば、「やられた」なのだ。

そもそも最初から武が悪かった。「時間がかかる読書」という扉が二枚入っていて、これはいったい乱丁だろうかとページをぱらぱらと繰ってみたのだった。もう、その時点で負けは決まっていたようなものだ。表紙の「時間のかかかかかかかかかかかか」というデザインで面白いなどと思っていたら、いつまでたっても勝つことなど出来ない。いや、勝った負けたと言う話ではない。本の扉を開くという重要な最初の儀式でやられたのだ。

007シリーズの映画では、冒頭で本筋とは直接関係しないアクションシーンが入る事になっている。007とはこうしたものですよという挨拶ではない。最終から楽しんでねというサービスである。そもそもエンターテインメントでなくともベストセラー小説の冒頭は1ページ以内に気になる事が起きる事になっているらしい。さもありなん。退屈な始まりでは販売という点では都合が悪い。ちょっと読んでみようかなと手にして開くのは2ページ以内と思った方が良い。我慢して2ページ読んでみたけどつまらない。だから買って面白くなるまで読んでみようなどとは思わない。そう思ってくれるなら、なんと親切な読者であることか。大抵は、つまらないから買わないとなる。

ところがである。まだタイトルしか読んでいないというのに、ページを繰ってしまったのである。正確にいえば、文庫の表紙とタイトルをみただけである。惨敗である。いや、勝ち負けではない。やられたのだ。冒頭の数行を読めばもうやられたことがはっきりとする。

さて、読み方の難しい本である。あえて言うなら横光利一の「機械」の長い長い読者感想文か。明らかに書評ではない。論文のようなものでもない。ただひたすら、ひとりの読者として本を読んでいく。読み込んでいく。であれば、横光利一の「機械」の読者である宮沢章夫の読者である自分は、それについて書いたこの文章の読者に対して何が言えるのか。読み方といった大仰なことなど言えそうにもない。困ったことである。ただひたすら救いなのは、このblogで密かに試みているネタだけは宮沢章夫にやられてなかったことだろうか。実は最初の数ページで先にやられたと思ったのだが、少々違った。素人が出来ることには限界がある。せめてつまらないアイデアの余地くらいは残っていてほしいものである。

最近読んだ本

時間のかかる読書 (河出文庫)
宮沢 章夫 著

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