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A Book: つめたいよるに

201509-111This article was written only in Japanese.

まだ一日が長くて近くの神社の裏山に忍びこむことが冒険だった頃は、夢と現の境目などと言われても何のことだか想像すらできなかった。捻じ曲がった巨木の根も甲高い生き物の声も、それは確かにそこにあって、それでも誰も知らない秘密の何かだった。裏山に夕暮れの影が忍び込み、どこか寂しくなって自転車を押しながら家路に着くとき、どうしてか少しだけ後ろめたい気分を感じていつも同じ決心をした。裏山に行ったことは黙っていようと。でも、一所懸命そう決心していた筈なのに、翌朝に裏山にはどんな虫がいたのと聞かれ、大きな蝸牛を見つけたんだと報告することはとても自然なことでもあった。どうしてあの場所に行ったことが分かったのだろうと思うのは、ずっと後のことだ。何もかもが自然にそこにあって、不思議に思うことは人と人の間ではなく、自然のなかにこそあったのだ。

しばらくして、そんな冒険の後ろめたさが大きくなり始めた頃、疑り深さが夢と現を分け隔て始める。下草のガサガサという音は小動物なのか吹き抜けた風なのかと考え、やがて、友人の話すことが本心なのかどうかと悩む自分に気づく。そうやって、今自分の見たものさえもが危うく見えてくる。

「そういえばこのペンはパーティで誰かに借りたんだっけ。誰だったかな。」

急にそう思い出して、たった今まで書類を書いていたペンをしげしげと眺め、思い出せずにまた書き始める。そう言えば鞄にペンケースを入れ忘れ、授業中に頼み込んで借りた異国の綺麗なペンを返し忘れたことがあったなどと、違うことを思い出す。そのうちパーティで借りた筈のペンは、授業中に借りたペンへと入れ替わり、そもそもパーティで借りた記憶が勘違いだったように思えてくる。

そんなものなのだろう。たとえそのペンが、確かにパーティで借りたものであったとしても。そして、貸してくれたのが、書類を書くすぐそばでマグカップから紅茶を飲んでいるパートナーであったとしても。

 
今時よく目にする軽量な散文からすれば、適度に密度の濃い描写と軽快なリズムが交じり合った文体は、少し切なく少し優しい日常のシーンを美しく切り取っていく。どこにでもある風景というわけではない。それどころか、実務的な頭がきっとそんなことはあり得ないと囁きかねない風景なのかもしれない。でも、それでいて誰にでもある日常なのだ。だから切なく優しい。

最近読んだ本

つめたいよるに (新潮文庫)
江國 香織 著

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2 thoughts on “A Book: つめたいよるに”

  1. 最近は新しく本を購入せず、持っている本を読み返しています。
    今日は、宮本輝さんの 幻の光 をカバンに入れて電車に乗りました。

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