Art, Bonne journée

ART: 佐藤雅晴―東京尾行

201604-211確かに家を出た時には理解していたはずの行き先は、時が過ぎるとともに曖昧になって行く。やがてどこに向かっているのかも考えなくなってしまった人々は、うつむきながらゆらゆらと前に進み、コートの襟は肩にかけられたバッグの重みに歪む。朧げな両目の先に白く光を放つ小さな聖書を抱え、誰もがその曖昧な行き先に引き寄せられる。発車ベルとモーター音と靴音とコンクリートに反射する声とコンプレッサーの共鳴音とが混じり合った静寂。朝の駅から吐き出された無口な人々は、雑踏の静寂に身をゆだね、否応なしにその1日を始めるのだ。

都会のよそよそしさは、行き交う人々の冷たさではなく、雑踏の騒々しさに畳み込まれた静けさにどこかで不安を感じる事によるのではないか。時々そんな風に思う事がある。
満員電車では誰もが口を噤み、ただひたすらモーター音とレールの軋む音が騒々しく渦巻いている。その雑音を注意深く聞けば、時々流れるひしゃげたアナウンス音から衣摺れの音や小さく畳んだ新聞の折れる音まで様々な音に溢れ、いつか耳を塞ぎたくなるほどの大音量となっている。その中で、通勤客は携帯電話を操作し、本を開き、音楽を聴いている。肩がぶつかりあう隣の乗客は、もはや背景でしかない。誰も隣りを気にせず、ひたすら自分の場所に閉じこもり、席を確保した高校生が化粧を直すのをぼんやり眺めるのだ。
そんな漂う時間の中では、見えている風景はすでに現実ではない。ひたすら現実をトレースしたまがい物の風景だ。マナーモードにし忘れた電話が車内に響こうが、誰かが網棚に荷物を忘れようが、そこには現実がない。それが東京であり、東京の現実なのだろう。

品川の原美術館でゴールデンウィークまで「東京 | ハラ ドキュメンツ10 佐藤雅晴―東京尾行」が開催されている。駅から15分とほんの少し距離があるが、天気が良ければ春にはむしろ徒歩が嬉しい。品川のビル郡と雑踏を離れ少々高級な邸宅郡の隙間に滑りこめば、まさに佐藤雅晴を楽しむのにちょうど良い静かな空間が待っている。
何も準備する必要はない。門を抜ければどこかで違和感を感じながらうまく言い表せなかった東京がそこにある。

 

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2 thoughts on “ART: 佐藤雅晴―東京尾行”

  1. むかし、東京を旅して会ってみたかった人と美術館へ行ったことがあります。
    美術館という日常と違う感覚を味わえる空間、好きな場所のひとつです。

    1. 以前はよく文庫本を持って美術館に行きました。日常と少し違う場所で過ごせるのがいいですね。誰かと同じ時間を共有したくなる場所でもあります。

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