Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Vacances

201708-112

先日、フランス在住の知人から仕事に復帰したとの連絡があった。ご迷惑をおかけしましたと、事務的ながら丁寧な文面である。もちろん仕事に復帰したのは3週間のバカンスからであって、休職していたとかそんな理由ではない。あたりまえの夏休みを家族で過ごしただけなのだが、日本に気を遣っての連絡なのだろう。普段と違ったよそよそしい文章を眺めながら、気にしなくてもいいのにとひとり呟いた。
この知人のフランスでのご実家はフランス国内だったと記憶しているが、仕事関係者と話していると案外スペインやらスイスやらと実家が国外という人も多い。だから夏休みにその田舎に帰るのかと思っていると、意外にもイタリアだとかイギリスだとかと全く無関係な場所が多い。あいつは北イタリアにひと月もいたからすっかりイタリアかぶれで困ったなどと言う。聞けば、近いのにずっと行った事がなくて、今回はすっかり満喫したそうである。
どうしてこうもバカンスに命がけで向き合うのか、多少疑問がわかないでもないが、ここは素直に羨ましいと言うべきだろう。その程度の余裕がないと、この暑い夏は乗り切れない。

201708-111

Bonne journée, Cross Cultural

Galapagosizationized

201707-211

テクノロジー関連のウェブ記事を読んでいると時々意味不明な単語に出くわす。その記事に書かれた技術をそもそも知らないという事ではない。まぁ、よく知らないという場合もないではないが、わざわざ読もうというくらいだから普通はある程度の予備知識があって読んでいる。不明な単語というのは分からないというより直感できない単語という意味である。ある種、中学生の間でだけ流行っている妙な表現を初めて聞いたような違和感とでも言おうか、響きはわかるのに語源が想像つかないというのに似ていなくもない。あるいは、先日の朝日新聞の書評にもあったが、ハナモゲラ語でも良い。ただひとつ違うのは、立派に元の意味があるという事である。
そのような典型例が(個人的にではあるが)「ガラホ」である。この単語、実はどこにも元の言葉の原型がない。元の意味は想像通り「ガラパゴス化した携帯電話」と「スマートフォン」からきている。
まずは携帯電話がケータイとカタカナになり、次にガラパゴスと一緒になってガラパゴス・ケータイと呼ばれ、短縮されてガラケーという単語が完成する。この時点でケーくらいしか原型が残っていないと思うが、業界ではフィーチャー・フォンと呼んでいるから実は全く違う単語になっている。一方、スマートフォンはいつかスマホと呼ばれフォはいつしか完全にホに変容する。だからガラケー+スマホでガラホである。もはやどこにも原型はない。日本語おそるべし。
ところがである、今、「ガラホ」という単語はガラパゴスケータイのスマホという意味では使われていない。スマートフォンのOSや部品を使って作られたフィーチャー・フォンという意味である。つまりスマホの技術で作られたガラケーなのである。あぁ、ややこしい。言葉の原型はおろか意味合いすらもずれているではないか。

追記:
ややこしいといえば時に外来語も同じである。あえて色々例を挙げるまでもない。先日は、スケートの記事を読んでいて「フィギュア撮影」で引っかかった。ニュースでも案外スケートに関する記事は多くなく、スケートファンとして画期的な記事だと思ったのだが、実際は模型のフィギュアの話だった。並べて書いて欲しくないものである。模型のフィギュアはModel figure、フィギュアスケートはFigure skating。言葉はいつも難しい。

追記2:
タイトルのGalapagosizationizedという単語はもちろんない。Googleしても何も出てこない。ガラパゴス化という意味であれば、前後でその意味を説明しさえすればGalapagosizationという単語はなんとか通じそうである。だが今回の意味はガラパゴス化ではなく、もはやガラパゴス化されていた過去の生態系を別な島に移したことで一時的な新たな生態系が派生したくらいの意味である。言葉はいつでも新しい。

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Penguin?

201706-221

written only in Japanese

先日、Suica(JR東日本のICカード)を久しぶりにパスケースから取り出して、緑色のプラスチックのその隅に黒でペンギンが描かれていることを思い出した。きっと有名なデザイナーの手によるものに違いないが、実際のところ特にどうと言う訳でもない絵本にでもありそうなペンギンが、シルエットのようにカードの右下にプリントされているのである。最初の頃はSuicaを宣伝するためにもやたらとペンギンが登場していたように記憶しているが、最近はあまり意識することもなかったから、久しぶりに見つけたペンギンは、案外不思議な新鮮さを感じるものであった。
※後から調べたらペンギンはデザイナーによるものではなく、絵本のキャラクターだそうである。

これほど普及しているにもかかわらず何故いまもってペンギンが描かれているのか分からないが、Suicaであることをしめすスイカのような模様と合わせて分かりやすさを提供していることは間違いない。ただ、だからと言ってカードに描かれたペンギンがうれしいとか楽しいとかいった事はない。これは多分に個人的な好みによるものであって、もちろんこのペンギンが好きな人が多数いて普及に貢献したことは事実である。このペンギンはなかなか愛らしいとも思わないでもない。丸顔はキャラクターデザインの鉄則でもある。それにもかかわらず、個人的にはSuicaにはできればペンギンを描いて欲しくない。もう少し普通の無機質なカードにしてほしいのである。もちろん、普段見ることがないのだから困る訳でもない。単に事務的に扱いたいモノに特に好みでもないキャラクターが描かれていることに違和感があるだけである。セブンイレブンのキリンも診察券の不明な動物も、同じようにどうしても好きになれない。

そうやって気になりだすと、ありとあらゆる場所に妙なキャラクターがデザインされていることに気付く。それは企業やサービスのロゴデザインのようなものでもあれば、パンフレットの隅に書かれたキャッチコピーの話者であったりもする。自動販売機で単純化された線画が挨拶をしていることもあれば、バーコードの上を歩いていたりもする。国民性などと十把一絡げにまとめてみても良いが、それは些か乱暴というものだろう。

とりあえず困る訳でもない。気にすることもない。だったらどうでもいいだろうと思わないでもない。少しだけペンギンが減ってもいいかなと思うだけである。カードはもう少し無機質にしてほしいというだけである。

シンプルな方が良いことだってある。

 

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Sincere

201706-111

「sincere」の意味を、もしご存知でしたら教えていただけませんか?
Could you please tell me the meaning of ‘誠実さ’ if you know about it.

さぁ、最近はとんと聞いたことがありませんね。何かお探しですか?
I have hardly ever heard recently. Looking for something?

Cross Cultural, Photo

SHOGUN

201705-411

(written only in Japanese)
どんな理由だったかとんと思い出せないが、先日iPhoneで「征夷大将軍」と入力しようとしたところ、なかなか正しい変換候補が出ずに苦労した。大抵はある程度単語を入力したところでありそうな変換候補を先回りして提示してくれるものだが、今回は「聖衣対象」など滅多に変換しそうにない候補が先に出て来た割には、肝心の征夷大将軍は最後の最後といった状況だった。

確かにもう何年も征夷大将軍を話題にしたこともなければ、聞いたこともない。生活していてあまり必要のない単語である。必要なくなったのは、勿体ぶって夷を征するような時代ではなくなったということではもちろんない。未だ征夷大将軍なる肩書を持った人物に出会ったことがないという話でもない。歴史の彼方にゆらゆらと見え隠れする征夷大将軍の登場が、ほとんど受験程度でしかないということだ。そもそも「将軍」自体が、今や時代劇ですらなく、どこか北米の片田舎かパリの外れにあるあやしい日本食レストランの名前かTシャツに描かれた文字という事になっている。いや、美味しいShogunだってあるに違いない。美味しいTokyoよりは案外確率が高そうではある。今や将軍とはそんなものである。

そんな風に征夷大将軍を入力しながら、少し傾いて印刷されたTシャツの黒々とした文字を思い浮かべていて、ふと気がついた。征夷大将軍が何だったかという根本的なところに疑問を感じるべきだと。つまりはよく思い出せないということなのだが、おそらく、征夷大将軍が何か明快な回答ができる人は少ないであろう。Wikiでも調べればもちろん(退屈な高校の授業中に寝ていたというのでもなければ)急に記憶が蘇るのだが、それでも本当のところは分かっていないという自信がある。まぁ、いらない自信ではある。

そうやってつまらない自信を深めながら、似たような言葉に思い当たった。神聖ローマ皇帝である。ひょっとすると征夷大将軍よりもむしろ身近だったりするかもしれない。世界経済が安定しないといったこともあってか今時は巨費を投じたプロジェクトも少なくなったような気がするが、ヨーロッパにコンプレックスでも持ってるのではないかと勘ぐりたくなるような歴史大作として、神聖ローマ皇帝を題材にハリウッドあたりで映画制作が進んでいても不思議ではない。その予告編をみてランチの話題にでもするような、どこかで歴史上のロマンがまだ残っているような単語ではある。とは言え、神聖ローマ帝国の皇帝は、ローマと聞いて思うパクス・ロマーナの時代の皇帝ではない。あえて言うなら、ローマとしての実態はもはやない時代の話である。その意味では、征夷大将軍並みに案外分かっていない名詞だろう。漢字変換を必要としないことばを使う人々には、残念ながら変換候補で時間の流れを感じることはできないのだが。

さて、例によって冒頭の写真は本文とはまったく関係ない。横浜の丘の上で青空にひるがえる二つの信号旗は、おそらくは”U”と”W”、”I wish you a pleasant voyage.”「ご安航を祈る」の意味である。ことばとは、そうしたものなのだ。

Cross Cultural, Photo

The Planet with Photo

201703-321Written only in Japanese.

「地球を守ろう。この地球は、コーヒーの飲める唯一の惑星です。」
といった感じだろうか。RSSフィードでチェックしているブログを見ていたら、そんな言葉が手書きのサインボードに書かれた少しおしゃれなカフェの写真があった。旅先で見つけたら、ひょっとするとつい立ち寄ったかもしれない。念のため原文を書けば、”Save the earth. It’s the only planet with coffee.”である。こういったコピーは、冒頭のように直訳的な表現ではあまりしっくりこない。
「宇宙にたったひとつ、コーヒーの香り芳しいこの地球を大切に。」
これもいまひとつだが、最初の訳よりはまだ良いのではないか。言語にはそれぞれ固有の言い回しがあって、直訳するとしっくりこない場合が多い。逆にそれが新鮮であったりもするから一概に良くないとは言えないが、なかなか言葉は難しい。
これが絵や写真、音楽となると世界共通の様に言われて案外頓着しないが、実はまるで違うらしい。各国の民謡の音階の違いは言うまでもなく、山水画とヨーロッパ中世の絵画には大きな隔たりがある。音楽も絵も好きなだけで専門的な内容に詳しいわけではないから正確には表現できないが、大学でしっかり学ぶと地域差とか文化的な違いとかがわかってきっと面白いに違いない。絵であってもそこにはある種の文法のようなものがあって、誰もが鳥の絵を見て鳥と理解するにもかかわらず、その美意識は違う方向に向いていると感じられる。ただ、言語と絵画や音楽が大きく違うのは、符号化されていない絵画や音楽が世界中で了解できることである。符号化あるいは記号化は、その符号の意味が了解されていなければ通じることはない。
さて、特に注意することなく前段で「写真」と書いたが、この写真が文化の違いにあらわれるかと問えば、その答えはなかなか難しい。歴史が浅いからとも思ったが、19世紀後半にはカラー写真が登場していることを考えると極端に新しいわけでもない。そして誰が撮っても同じになるわけでもない。それでも差異が見つけにくいのは、写されたものが現実の映像をそのまま伝えるからだろう。オンラインで世界中の写真を見るのが当たり前になって、差異が生まれにくいこともあるだろう。そう思いながらフォトシェアリング・サイトの無数の写真を見ていると面白い事に気づかされる。やはり写真には文化の違いがあると。誰か、この直感が正しいかどうか調べてくれないものか。

201703-322