Bonne journée, Cross Cultural, Photo

See you soon

7 years have been passed after my having set sail for somewhere on the blog sphere. It seems to be a right time to anchor in a new port and start exploring the new town.
ブログの海に漕ぎ出して気づけば7年が経過した。新しい港に船を休めて新しい街を探検する潮時というものだ。

Soon I’m going to disconnect my line for the adventure and I will be back within a couple of weeks. Perhaps you my find me here shortly but it might be just a temporal case for picking up my baggage left behind.
まもなく線を切って探検に出かけ、数週間もしたら帰ってくるだろう。もしかするとすぐに私を見かけるかもしれないが、それは単に忘れた荷物をちょっと取りに帰っただけかもしれない。

See you soon.
À bientôt.
また近いうちに!

住み慣れた横浜をしばらく離れます。新居が落ち着くまで、ブログはスローダウンすることになりそうです。このポストも予約投稿です。

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Bonne journée, Cross Cultural

3.5mm

iPhoneからヘッドフォンジャックという3.5mmの穴がなくなって久しい。2年が経つそうだ。そう、テクノロジー記事が書いている。その記事のライターはそれに苛立っているようだが、正直何を言っているのかわからない。もう、ずっと使う機会がほとんどなかった穴が、わずか2年前まで存在していたことにむしろ驚いている。

普段使っているヘッドフォンにはワイヤーが付いている。その先にはBluetoothのレシーバーというか大半がバッテリーの小さな箱が繋がっていて、それを使うのは、ヘッドフォンジャックにクラシックなヘッドフォンを挿したiPhoneを使うのとあまり違わない。流石にレシーバーはiPhoneよりはずっと小さいのだが、線の先に箱が繋がった状態でヘッドフォンを使っているという点では、さほど違いはない。それでも毎日の通勤でクラシックや語学のコンテンツを聴く日課には、だが、iPhoneに直接ヘッドフォンを挿すクラシックな形が入り込むことなど想像できない。ライトニング端子をヘッドフォンジャックに変換するアダプターは持ってはいるが、ずっと自宅の箱の中に眠ったままだ。Bluetoothの充電を忘れても、それを使おうという気になったことはない。おそらくiPhoneを使うことの意識には、線が繋がっている状態がすでになくなっているということなのだろう。

感覚に個人差があることは重々承知しているし、自分の感覚を一般化することなどできないことも分かっている。件のライターが失われたヘッドフォンのための小さな穴に苛立っていることも、否定するつもりはない。ただ、フロッピーディスクのドライブがなくなった時も、MacがSSD化された時も、もしかするとカメラのメモリーカードがなくなる時も、それは唐突にやってきて、わずか2年で当たり前に感じることになるのだと妙な浮遊感のようなものを覚えているのである。

気付いてみれば、メインカメラはすっかり一眼レフからiPhoneに移行した。丁寧に撮影するなら一眼レフのが良いが、直感的に良い写真を撮るならiPhoneの方がはるかに優位なこともある。焦点距離50mmと4mmでは撮れる画像に大きな差が出るわけだが、厚みが5センチと4ミリではバッグから出す時などの身軽さが違う。50mmの光学的優位性など、結局ベストなタイミングで写真が撮れなければ何の意味もない。いささか強引に聞こえるかも知れないが、一度ヘッドフォンジャックがなくても困らないと思ってしまうと、それ以上に不要だという感覚が増してくるのである。

人間というものは、慣れたものと違うものに対してどこかで拒否反応のようなものを感じる保守的な生き物である。おそらくは生物は概してそんなものなのだろう。だから、ヘッドフォンジャックがない事に違和感を感じる人間もいれば、Bluetoothでない事に違和感を感じる人間もいるのだと直感で理解している。どちらが良いとか悪いとかではない。ただ、5年もすれば捨てされれるような技術の変化の中で、2年はあまりに長く、相互に理解できない状態を作りかねないのだと思うのだ。多様性は、ますます重要なキーワードになりつつある。

Bonne journée, Cross Cultural

新品の傘

201812-101

予報より幾分早く本降りとなった雨が傘を叩く音をぼんやりと聴きながら、赤に変わったばかりの信号に足急ぐ。確かにいつもの気象予報士が自信ありげに午後の驟雨を語ってはいたが、短時間だと添えてはいなかったかと頭に中で独り言ちた。言ったところで何も変わりはしない。そんなことはわかっている。
特徴のないモノトーンの音を受け止めるその傘は、雨続きの10月の終わりに手に入れた大型の割には持ち歩くのにあまり気にならない三段折りのカーボン骨のもので、買ってからというものずっと家で好天が終わるのを待っていたという代物だった。要は、重い傘に肩がこるのが嫌で、とうとう軽い傘を手に入れた途端、雨はピタッと降らなくなったのだ。ようやく本領発揮というところだが、やっぱり雨は降らないほうがいい。特に用事があってどうしても外を歩かないければならないとなると、傲慢な人間の本性が出る。晴れが続けば雨を待ち、雨が続けば晴れを期待するというものである。
この傘、200グラムという軽量でありながら、普通の傘以上に大きさがある。三段折りの一番外側は開く際に手で広げてやる必要があるが、普段から持ち歩ける軽さは肩こり性の人間にはありがたい。多少、風に弱いところがあっても強風でなければ大丈夫だから、バッグに入れておく御守りみたいなものである。
そこで思うのである。いや、待てよと。御守りとはなんだろう。降られるのが心配だから忍ばせておくというからには、雨にあたるのが心底困るということか?ちょっとした神頼みが必要だというなら、傘など持っていないフランス人の仕事仲間は、毎日危険を犯してまで傘を持たずにいるというのか?そういえば、遠く雷鳴を聴きながらガラス張りの会議室から外を眺めれば、バケツをひっくり返したような真っ白な雨の中を襟を立てて小走り建物に入ってくる彼の姿に呆れたこともあった。ずぶ濡れのまま仕事をしたのか、それとも濡れなかったのか。あるいは御守りなど必要のない強烈なパワーを持っているとでも言うのか。そうだ。フランス人は傘など持たないのだ。御守りなど信じないのだ。雨の多い7月の東京に、折りたたみ傘も持たずに来るではないか。
そう思うのは、だが、単なる偏見である。フランス人は傘を持たないなど誰が言ったのか。
「雨降りに郊外のハイパーマーケットに行く時は、もちろん傘を持っていく。だって、駐車場が広くて車にたどり着くまでに濡れちゃうじゃないか。」
そんなものである。フランス人も必要な時には傘を使うのだと主張するその目には、偏見を正そうとする意思が微かに感じられたのだった。

この文章は少し前に書きかけたボツ原稿を校正、再編集したものである。

 

Bonne journée, Cross Cultural

Sound of rain drops

201811-201

誰もがもう終わりだと言い出せないまま降り続く雨と
誰かが決心しないまますれ違い続けるいつもの朝とが
誰もが思い出そうとしない街の時計を動かし続ける

束の間の晴れ間に昨日まであった日陰を探す自分と
青くなった膝に張り付く湿った昨日を思い出す僕とが
前を歩く誰でもない誰かを追う私を動かし続ける

あなたが次に向かおうと歩き出した水溜りの歩道と
あなたが気にも留めない青色の驟雨を足急ぐ赤い傘とが
あなたに誰かが譲る道の向こうで私を待つ今日を動かし続ける

Bonne journée, Cross Cultural

Still hot, going to be

201809-211

「命にかかわる危険な暑さ」という言い方に違和感を感じるというblogを見かけるが、その感覚もわからないでもない。コーパスでも当たれば何かわかるかもしれないが、少なくとも感覚的にもあまり見かける言い方ではなさそうである。こんな時には「命にかかわる」をgoogleして検索候補の状況で確かめるのが良いのかもしれない。ともかく、聞き慣れない言い方だからこそ違和感も大きくなる。
さて、いつも仕事を一緒にしているフランスの同僚は、この危険な暑さを理解していなかったようである。案外、暑さを理解するのは難しいものなのだ。フランスから羽田に降り立った彼は、あまりの暑さに驚いたものの、手持ちのシャツはオクスフォードの長袖ばかり。どうにもならないと悟るまでにはいくらも時間がかからなかっただろう。オフィスに現れた時には全身ずぶ濡れで、どう見ても夕立のあとという程に汗をかいていた。慌てて冷たい水を渡したが、おそらくは500ミリでは足りなかったに違いない。
フランスを発つ時に天気くらい調べたと思うのだが、35度の暑さが続く事までは思い至らなかったのかもしれない。今年はヨーロッパも猛暑で北部でも35度になったと報道されていたし、まれに暑い日もないではない。スペインで40度という話を聞く事もある。それでも北部では「暑い暑い」と盛り上がる程にまれなのだそうだ。
さて、違和感だが、暑いのは誰でもわかるから大雨と同列にするなというのがひとつの意見のようである。でも意味が違うのである。そう言わなければ伝わらない事もあるという事なのだ。倒れる時は唐突である。

Bonne journée, Cross Cultural

熱帯夜

 

201808-110

20時間の移動ともなれば、身体も頭もまともな状態であるはずもない。ふくらはぎはじんわりと熱を持ったように怠く、本を開いても3ページを待たずに行を見失う。ようやく慣れたホテルのベッドを抜け出してからすでに24時間。機内でうとうとしていたからその数字に意味があるわけでもないが、少なくともそろそろ平らなベッドが欲しいとは思っていた。だから、ボーイングの馴染みの機体が小さな振動とともに東京湾のそれでも青い海に囲まれた滑走路の隅に降りた時には、これでようやくフレッシュな空気が吸えるとひと安心したのだった。
もちろん東京が暑いことはわかっていた。とは言え、連日のニュースで38度という異常な高温と休まる余裕もない熱帯夜は聞いてはいたものの、日中でも25度で朝晩は長袖の上着が必要な異国にあっては、そのニュースはどこか他人事でもあった。そして、機内持ち込みの荷物をまとめ少しでも広い空間へと出たい気持ちがすっかりそれを忘れさせていた。しかして、宇宙船のような湾曲したドアから一歩出た瞬間、あっと思わず声を上げることになったのだった。歩きながら振り返れば、誰もが例外なく同じ場所で呻き声を上げている。それはちょっとおかしな空間だった。
羽田空港のビルの中は、もちろん十分涼しい。少なくとも税関を抜けるあたりまでは、少しばかり汗をかく程度でなんら問題はない。フレッシュな空気を吸うことはままならないが、飛行機を出た瞬間の少し笑ってしまうような暑さを思えばなんでもないことだった。それが、バスに乗ろうと外に出た瞬間に、これはとんでもない事なのではないかと急に心配になってきた。
バス停の誘導係は、乗客を正規の場所から少しでも影となる場所へと誘導し、その傍で重いスーツケースを順番に並べ、次々と来る問い合わせに答えながら、制服の袖で汗を拭うのだった。乗客を屋根の下に誘導しているから本人は直射日光を浴び続けている。よく見れば、汗をかいているには違いないが、袖はあまり濡れていない。思わず水分を補給した方が良いと言おうと思ったが、話に割り込むまもなくバスがやってきてしまった。まもなく誘導係の彼は、笑顔で乗客を送り出し、再び汗をぬぐって次の乗客に対応するのだった。
なんでも温暖化と結びつけるものでもない。全体としてはそうなのかもしれないが、だからと言って、この異常な暑さの原因の全てが温暖化によるものではない。地球規模の流体力学を解くのは容易ではないが、結局は大きな大気や海流の流れで説明されなければならない。その流体の揺らぎの中で、平均としての温暖化がある。だからすぐに異常気象とか温暖化とかを局所的な気象で語るべきではない。少なくともそう学んだつもりである。

201808-111

そんなことを考えつつ、羽田の暑さにバス停の係員を心配しながら、ふとスロベニアの光景を思い出した。ヨーロッパでは当たり前の自転車専用道だが、彼の地にもそれはしっかりあった。専用の道を作るだけの幅が車道になければ歩道の一部を区切り、歩行者も自転車も違いに道を譲りあうマナーは、いったいどこから来るのか。誰もが自転車を重要な交通機関として理解しているようでもあった。そして言う。二酸化炭素出さないでしょ。オンラインで登録できるレンタルバイクも整備され、自転車がどこでも使える環境は、ちょっと羨ましい。しかも、短時間なら無料と言う。それだけではない。そのレンタルバイクの横にはEV用の充電ステーションが当たり前のようにある。まだまだEV車両は少ないが、あれならきっと普及するに違いない。便利なのだから。
ところで「熱帯夜」と言う表現にはずっと疑問がある。熱帯の夜ってホントにこんな暑さなのか?何しろ行ったことがない。

201808-112