Bonne journée, Photo

遠い街の冬

まるでそれが日課だと言わんばかりにやってくる雨に、石畳みが濡れているのが当たり前のような気がしていた。仕事に向かうまだ薄暗い朝、その磨かれ硬く丸みを帯びた石で足を滑らせ、日が伸びたとはいえもう薄暗くなった帰り途、レストランの灯りと愉しげな声を反射させて黄金色に輝くそれに目を細める。雨とはいえ気温は上がらず、雪でない事にのみ安堵を覚える。ポケットに入れた手がかじかんでくる。それが冬である。

ようやく晴れ間が出れば、太陽が恋しくて外が歩きたくなるのは特別なことではない。ただ、外に出たところでその僅かな光で体が暖まるという事でもない。やがて間も無く雨雲が通り過ぎ、ぽつぽつと降る雨に結局は体を冷やす。木の下に逃げ込んでも冬枯れの枝には雨を受け止める葉も見当たらない。ただ襟を立て小さくなって足急ぐだけだ。それが冬である。

そうやってどこかで諦めのつかない週末にふと現れた青空は、何はともあれ外に出て陽の光を肺の奥まで吸い込むための記号である。教会のミサを報せる鐘が聞こえる前の音のない朝でも、ゆっくりとランチを楽しんだ後でも、近くの公園にはすっかり湿った体を乾かすためにひとが集まってくる。芝生に腰を下ろして本を読むには少し早いが、よく見れば新しい芽があちこちにある。それが冬である。

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Bonne journée, Cross Cultural

vivre à l’hôtel

Yokohama

有名作家がホテル暮らしをしていたのはひと昔前どころか遥か昔の話だが、そのホテル暮らしが可能なのはそれが「一流」ホテル暮らしだからであって、一般庶民が実際にホテルで生活するとなるとそう楽ではない。生活するとなれば、食事の心配と同じレベルでゴミの心配をし、限られた空間で何を妥協するのかを考えなければならない。増してそれが異国の地であってその地のルールを知らないとなればなおさらである。

新しいフラットを見つけるまでの間とは言え、ホテルでしばらく過ごすうちにそうした葛藤のような中で自然と考えることも多くなる。何を食べようかと思うだけなら美味しそうなメニューが頭の中をグルグルと巡るが、小さなキッチンでりんごの皮をむけば、そろそろゴミもいっぱいになってきたし生ゴミもあるからフロントで新しいゴミ袋を多めにもらってきておこうなどと考えるものである。そこで「あぁ、またフランス語の発音が悪くて通じないかな」などとは心配しない。いや、心配しなくもないが、ちゃんと伝わるものである。どちらかといえば、分別ゴミの心配をしたりする。紙とかプラスチックとかちゃんと分けてはいるものの、これで捨てて良いのだろうかといった心配である。

昨年まで住んでいた横浜は、世界的に見てもゴミの分別が細かい自治体だそうである。もうすっかり癖がついて、ティッシュの箱が空になれば潰すついでに取り出し口のビニールをとるし、プラスチックとPETはしっかり分けて出す。当たり前といえばそれまでだが、フランスの多くの自治体では通常そこまで区別しない。リサイクルとそれ以外があるだけである。そう書くとリサイクルが進んでいないように聞こえるかも知れないが、ある程度リサイクル対象とそれ以外を分けて回収した後で、回収後に再度仕分けをするというやり方をとっている。もちろん、細かく分けて回収している場合もあるが、回収後の処理でしっかり分ける作戦だそうである。

聞いた話なのでどこまで正しいかわからない。ホテルの一室でリンゴを食べながらふと疑問に思っただけである。日本のリサイクル率はかなり低いというので、Webで数字も調べてみたが計算方法によって変わるのでここには記載しない。疑問に思ったから、フランス人に聞いてみたという単純な話でしかない。そのフランス人が正しいことを言っているかどうかもわからない。

ただひとつ言えるのは、なれないホテル暮らしで疑問が湧き、それを地元フランス人に聞けば環境保護に関する大論争が巻き起こるということである。やがてそれは日本の法制度への質問となり、ゴーン氏の扱いは正しいか否かという激しい議論へと繋がるのだった。(いや、リンゴの皮は生ゴミである事に間違いないのだが)

Bonne journée, Cross Cultural

新品の傘

201812-101

予報より幾分早く本降りとなった雨が傘を叩く音をぼんやりと聴きながら、赤に変わったばかりの信号に足急ぐ。確かにいつもの気象予報士が自信ありげに午後の驟雨を語ってはいたが、短時間だと添えてはいなかったかと頭に中で独り言ちた。言ったところで何も変わりはしない。そんなことはわかっている。
特徴のないモノトーンの音を受け止めるその傘は、雨続きの10月の終わりに手に入れた大型の割には持ち歩くのにあまり気にならない三段折りのカーボン骨のもので、買ってからというものずっと家で好天が終わるのを待っていたという代物だった。要は、重い傘に肩がこるのが嫌で、とうとう軽い傘を手に入れた途端、雨はピタッと降らなくなったのだ。ようやく本領発揮というところだが、やっぱり雨は降らないほうがいい。特に用事があってどうしても外を歩かないければならないとなると、傲慢な人間の本性が出る。晴れが続けば雨を待ち、雨が続けば晴れを期待するというものである。
この傘、200グラムという軽量でありながら、普通の傘以上に大きさがある。三段折りの一番外側は開く際に手で広げてやる必要があるが、普段から持ち歩ける軽さは肩こり性の人間にはありがたい。多少、風に弱いところがあっても強風でなければ大丈夫だから、バッグに入れておく御守りみたいなものである。
そこで思うのである。いや、待てよと。御守りとはなんだろう。降られるのが心配だから忍ばせておくというからには、雨にあたるのが心底困るということか?ちょっとした神頼みが必要だというなら、傘など持っていないフランス人の仕事仲間は、毎日危険を犯してまで傘を持たずにいるというのか?そういえば、遠く雷鳴を聴きながらガラス張りの会議室から外を眺めれば、バケツをひっくり返したような真っ白な雨の中を襟を立てて小走り建物に入ってくる彼の姿に呆れたこともあった。ずぶ濡れのまま仕事をしたのか、それとも濡れなかったのか。あるいは御守りなど必要のない強烈なパワーを持っているとでも言うのか。そうだ。フランス人は傘など持たないのだ。御守りなど信じないのだ。雨の多い7月の東京に、折りたたみ傘も持たずに来るではないか。
そう思うのは、だが、単なる偏見である。フランス人は傘を持たないなど誰が言ったのか。
「雨降りに郊外のハイパーマーケットに行く時は、もちろん傘を持っていく。だって、駐車場が広くて車にたどり着くまでに濡れちゃうじゃないか。」
そんなものである。フランス人も必要な時には傘を使うのだと主張するその目には、偏見を正そうとする意思が微かに感じられたのだった。

この文章は少し前に書きかけたボツ原稿を校正、再編集したものである。

 

Bonne journée, Cross Cultural

Still hot, going to be

201809-211

「命にかかわる危険な暑さ」という言い方に違和感を感じるというblogを見かけるが、その感覚もわからないでもない。コーパスでも当たれば何かわかるかもしれないが、少なくとも感覚的にもあまり見かける言い方ではなさそうである。こんな時には「命にかかわる」をgoogleして検索候補の状況で確かめるのが良いのかもしれない。ともかく、聞き慣れない言い方だからこそ違和感も大きくなる。
さて、いつも仕事を一緒にしているフランスの同僚は、この危険な暑さを理解していなかったようである。案外、暑さを理解するのは難しいものなのだ。フランスから羽田に降り立った彼は、あまりの暑さに驚いたものの、手持ちのシャツはオクスフォードの長袖ばかり。どうにもならないと悟るまでにはいくらも時間がかからなかっただろう。オフィスに現れた時には全身ずぶ濡れで、どう見ても夕立のあとという程に汗をかいていた。慌てて冷たい水を渡したが、おそらくは500ミリでは足りなかったに違いない。
フランスを発つ時に天気くらい調べたと思うのだが、35度の暑さが続く事までは思い至らなかったのかもしれない。今年はヨーロッパも猛暑で北部でも35度になったと報道されていたし、まれに暑い日もないではない。スペインで40度という話を聞く事もある。それでも北部では「暑い暑い」と盛り上がる程にまれなのだそうだ。
さて、違和感だが、暑いのは誰でもわかるから大雨と同列にするなというのがひとつの意見のようである。でも意味が違うのである。そう言わなければ伝わらない事もあるという事なのだ。倒れる時は唐突である。

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Vacances

201708-112

先日、フランス在住の知人から仕事に復帰したとの連絡があった。ご迷惑をおかけしましたと、事務的ながら丁寧な文面である。もちろん仕事に復帰したのは3週間のバカンスからであって、休職していたとかそんな理由ではない。あたりまえの夏休みを家族で過ごしただけなのだが、日本に気を遣っての連絡なのだろう。普段と違ったよそよそしい文章を眺めながら、気にしなくてもいいのにとひとり呟いた。
この知人のフランスでのご実家はフランス国内だったと記憶しているが、仕事関係者と話していると案外スペインやらスイスやらと実家が国外という人も多い。だから夏休みにその田舎に帰るのかと思っていると、意外にもイタリアだとかイギリスだとかと全く無関係な場所が多い。あいつは北イタリアにひと月もいたからすっかりイタリアかぶれで困ったなどと言う。聞けば、近いのにずっと行った事がなくて、今回はすっかり満喫したそうである。
どうしてこうもバカンスに命がけで向き合うのか、多少疑問がわかないでもないが、ここは素直に羨ましいと言うべきだろう。その程度の余裕がないと、この暑い夏は乗り切れない。

201708-111

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

旅先の朝は

201610-111written only in Japanese

旅先で迎える朝は、大抵すこし面倒だがワクワクする儀式が待っている。昨夜、逃げ込むように潜り込んだホテルのベッドから抜け出し、カーテンを開け、まだ下着のまま朝の日差しを浴びて伸びをする。シワのついたシーツはそのまま放ってバスルームに向かい、顔を洗って鏡で目を覗き込む。多少疲れた目には異常がないことを確かめると、おもむろに身支度を始めて思いを巡らす。さて、今日はどんな食事で1日を始めようかと。
ペンキがはがれかけた窓枠を強く押し出し、わずかに湿気を含んだ外気を吸う。歪んだガラス越しに朝日にシルエットとなった鳩が羽音をたて、煙突のひとつから微かに煙がたなびく。余韻を残すように短いクラクションの音。再び静寂。そして、少し甘酸っぱいものが食べたいなと思う。協会の鐘。

知らない土地で朝食を探すのは面倒だ。コンビニでもあれば適当に何か買って胃に入れるかなどと思うこともあるが、日本から一歩出ればそうもいかない。だからといって、知らない土地では探しようもない。朝はまだ街が始動していないのだ。そのまだ人々の騒々しい声も通奏低音のように続くエンジン音も無い朝、その土地の日常の隅っこにある土地のパン屋さんを訪ねるのは、フランスでの案外代え難い楽しみである。街であれば少なくとも数ブロックにひとつはパン屋さんが開いている。季節がよければリンゴなどの果実類を売っていることもある。朝、モーニングのあるカフェで過ごすのも良いが、8時前ではコーヒーとクロワッサンをカウンターでというのが精一杯。であれば、焼きたてのレザンでも買ってどこかで食べるのも悪く無い。

久しく遠い旅をしていない。

201610-112
横浜港、大桟橋。プリンセスクルーズの大型船が出港を待つ。
 

Bonne journée, Photo

l’automne

201609-311

Les sanglots longs
Des violons
De l’automne
Blessent mon cœur
D’une langueur
Monotone.
– Paul Marie Verlaine

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
– 上田 敏 訳

秋に聞こえる
バイオリンの
すすり泣きは長く、
単調な
気怠さに
心病む。
– tagnoue 訳

どうやっても上田敏にも堀口大學にも勝てないが、それでも試みたくなるのがヴェルレーヌの魔力である。現代風に少しだけ散文調にしてみた。

201609-312