Photo, photo panoramique

Yokohama andante 20.11

201711-412

The port divides your wanderlust off from the daily life.
その港は日々の生活から放浪心を切り分ける。

 

Advertisements
Bonne journée, Photo

Urban Life (薬のコピー)

201711-211

通勤電車の妙な静けさの中にいると、小さな咳に罪悪感のようなものを感じなくもない。「いえ、たまたま喉がイガイガしただけです」と心の中でつまらない言い訳をしたりもする。ひとは騒音を聞き続けるとそこが一段高い基準となって、いつか慣れるものなのだろう。だから電車を降りたところで急に静かになったとは考えない。通勤ラッシュの車内は、そうした意味で、誰もいない滝壺で静けさと自己に立ち向かいながら修行でもしているような場所である。誰かが気にも留ない小さな咳をした時にその修行の場を乱す罪悪感を持つのは、咳をする自分自信の孤独な所業なのである。
ところが、少しばかり大きな咳をふたつみっつすると、状況は一変する。誰ひとりいないはずの滝行の場は、途端に異端裁判のくすんだ空気へと相変化してしまうのだ。向かいに座って新聞を広げたサラリーマン風の男は、ばさっと新聞紙を揺らすようにして警告を発し、となりでスマートフォンに熱心に何かを打ち込む和装の女は、スマートフォンに向けた顔を微動だにせずちらりと目で威嚇する。咳をした側は慌ててハンカチを当てるのが吉である。誤ってそのままさらに咳をしようものなら有罪は確定したも同然。バツの悪い孤独感ではすまないものと思った方が良い。

そんなことを思ったのは、通勤電車で漫然と広告を眺めていたら、薬の広告の不思議な符合に気付いたからだ。自分の右手には「あ!これが、私の頭痛薬」と小ぶりな広告が貼られ、目を同じ位置の隣の部分にやれ「あっ!このかぜ薬」と同じ大きさの広告がある。どうしてこうも強制的に発見させられなければならないのか、広告担当者はもう少し考えてもらいたいものである。もちろん会社も違うから単なる偶然だろうが、どうも釈然としない。そんな風にモヤモヤとしながら小さな咳をしたものだから、冒頭のようなことを思ったのだ。
いや、分かっている。もちろん勝手にくだらないことを考えているだけだ。秋も本番である。